びゅうプラザ全店舗閉鎖と今後のJR東日本を考える(2)
2000年代以降インターネットが急速的に普及し、航空会社やホテルは旅行代理店に販売を頼らずとも、国内全域で直接個人への販売が出来るようになりました。
旅行代理店を通すと手数料が発生しますが、直販が出来れば手数料無しで済みます。
大多数の個人と簡単にやり取りが出来るようになった以上、旅行代理店のために直前まで座席や部屋をキープする必要も無くなりました。
これは旅行代理店と航空会社、宿泊施設の立場が逆転したことになります。
これ以降、個人客をターゲットにして残数に応じた割引や早期購入割引等、なるべく空きが出ないようにして収益を最大化する取り組みが基本になりました。
これらはイールドマネジメントと呼ばれています。
こうした状況に対してJR東日本はどう対応してきたのかといえば、地方で不採算になり始めたびゅうプラザの縮小、えきねっとや指定席券売機の導入です。
えきねっとでお先にトクだ値として早期購入割引も導入し始めました。
マルス端末を介在しなければ自動改札で有効な指定席券を発券出来ないため、まずはネット予約システムの立ち上げとハード面の整備から始まりました。
しかし2010年代でスマートフォンが普及し出した頃から、さらに変化が現れていきます。
びゅうプラザ全店舗閉鎖と今後のJR東日本を考える(1)
ここのところ放置していましたので、Yahooブログ閉鎖を今更ながらに知りました。
さて数日前にJR東日本の旅行代理店である、びゅうプラザを2021年度末で閉鎖すると発表がありました。
個人的には分割民営化以後、国鉄の外郭団体であったJTBとは決別して、独自のブランドを立ち上げた当時から見れば隔世の感があると思います。
と同時にJR東日本の公式リリースには、えきねっとへの特化とダイナミックレールパックを強化していく旨の文がありました。
ここから読み取れることと、旅行業の将来を個人的にまとめてみたいと思います。
初めに言ってしまうと現代では、旅行業がもはや商売として成り立たないと思います。
最大の旅行代理店であるJTB、グループの売上高で言えば1兆円を超えてJR西日本と同等規模です。
しかし旅行商品は基本的に交通費+宿泊費+飲食費で原価の90%を占めて、手元に残る代金は10%であり、この中で店舗の運営費や人件費を賄う構造です。
添乗員同行による団体パック旅行が主体であれば、手配はあまり手間が掛からず、規模が大きいため旅行手数料も大きく発生していたものと思います。
また1990年代まではインターネットも発達しておらず、航空会社や宿泊施設が全国津々浦々に展開するのは極めて難しいものでした。
販路拡大を頼ってきたのが全国展開するJTBや近畿日本ツーリスト、日本旅行、各都市にある民鉄系の旅行会社等です。
国鉄分割民営化で発足したJR各社もJTBとは別会社であり、バブル景気のおかげで企業の団体旅行が盛んなため、自社で旅行代理店を立ち上げていった時代でした。
その成り立ちは本州3社で異なります。
JR最大であり首都圏を営業エリアに抱えて、自前主義のびゅうブランドを立ち上げて東日本各地に展開したJR東日本。
首都圏と関西圏を他のJRに押さえられていながらも、東海道新幹線という優良資産を抱え、全国的に営業力のあるJTBと提携してJR東海ツアーズを立ち上げたJR東海。
関西圏と山陽新幹線を抱えていて、当初は東日本と西日本という二大看板の一角で、自前主義の旅行ブランドを立ち上げたJR西日本。
こちらは自前でブランドを作るには弱かったのか、後に日本旅行をグループ傘下として営業力を強化しました。
びゅうブランドは首都圏をマーケットに出来るJR東日本だからこそ、展開されていって今もびゅうプラザが残っていったと考えます。
陸前高田駅(2015年3月当時)
自動車駅に該当するのか分かりませんが、東日本大震災で被災しBRTの駅として営業する陸前高田駅です。
2015年3月10日現在では、曜日限定ながらもみどりの窓口が営業していました。
陸前高田は市街地のほぼ全域が津波による被害を受けて、街ごと消失してしまう大きな被害を受けました。
この当時は行政機能は仮設で高台へと移転しています。
陸前高田市役所はプレハブの建物でした。
近くには消防署も新築移転しており、事実上の市の拠点となる場所と思われました。
消防署脇でBRT専用として新しい陸前高田駅が完成していました。
春のダイヤ改正から営業開始で窓口機能もこちらへ移転したものと思います。
岩手県交通のバスも通っていました。
震災以後も変わらずに、陸前高田や大船渡市内の郊外線を運行しています。
かつてはJRバスとして運行されてきた、住田町·遠野方面も陸前高田で発着していきます。
この当時は復興に向けて造成中の箇所ばかりでしたが、4年経過してどう変貌したのか行ってみたいものです。
遠州鉄道 水窪町バス停(元JR東海バス 水窪町駅)
JR飯田線の水窪駅から歩いて10分程度、今は浜松市の一部となった水窪町の市街地北側にあります。
ここは遠州鉄道の西鹿島駅から水窪町を結ぶ、北遠本線の終点側のバス停となります。
かつては国鉄佐久間線の鉄道先行路線として国鉄バス·JRバスの天竜本線を名乗り、2002年までJR東海バスによる路線運行がされていました。
水窪町には派出所が置かれて、車庫や乗務員宿泊所を有する拠点として機能していました。
分かりやすいよう反転させましたが、現存する待合室は扉にあるように国鉄バス時代からの物のようです。
待合室内に残る通信配線箱は旧字体表記であり、昭和35年製となっていましたので築60年弱と思われます。
車庫も建物財産標見ると昭和35年築となっており、国鉄時代からの建造物となります。
この車庫は遠州鉄道だけでなく浜松市自主運行バスである、水窪ふれあいバスも使用しています。
車庫の路面にJRバスのペイントが今なお残っています。
遠州鉄道の中型ロング車によるノンステップバスです。
山間部を走りながらもバリアフリーが進んでいて、実際に乗ってきた乗客も高齢者がほとんどでした。
西鹿島駅〜水窪町は道程50kmほどありますが、西鹿島駅乗継で天竜川沿いの集落と浜松市中心を繋ぐ基幹的なバス路線です。
遠州鉄道としては2019年9月末をもって廃止となる見込みですが、浜松市自主運行バスとしてバス路線が引き継がれます。
富良野・札幌往復きっぷ
JR北海道のトクトクきっぷを見てると、高速バスへ対抗するためにかなりの割引率となっています。
気になりましたのでちょっとピックアップしてみます。
今回は富良野発限定の富良野・札幌往復きっぷです。
https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Otoku/005896/
富良野~滝川は普通列車利用・滝川~札幌は特急自由席が利用出来て、
・片道3620円・往復7240円(普通運賃+自由席特急料金)
・往復4350円(富良野札幌往復きっぷ)
約40%引きになります。
滝川駅での接続の良し悪しにもよりますが、富良野~札幌は所要2時間~2時間半となります。
競合するのは、北海道中央バスが運行する高速ふらの号(札幌~赤平・芦別・富良野)
片道2260円・往復4150円
所要は札幌駅前~富良野駅前で2時間50分、通常の運賃で考えれば数十分の差で片道1000円以上違ってくるのは大きな差となります。
あくまで利用促進のために富良野発限定ですが、高速バスへ真っ向勝負する設定はインパクトがありますね。
鹿教湯温泉駅
上田駅から千曲バスで大屋駅・丸子町を経て1時間強、鹿教湯(かけゆ)温泉駅に到着します。
ここはいわゆる東信と松本の中間に位置し、古くから温泉地として親しまれてきました。
現在はバス停以外の設備がないありふれた停留所ですが、かつては千曲バスを介して国鉄線の乗車券を発売していたことから駅として呼称されてきました。
バス停前の商店軒先にて今なお名残を留めています。
駅とはありますが、駅舎は国鉄連絡を取り扱っていた当時から無く、バス停の置かれている区画の商店へ委託による発売だったようです。
鹿教湯温泉は大規模な旅館が無くやや小ぢんまりとした温泉地ではありますが、開湯は1200年前で国から保養温泉地と認定されていました。
「鹿が教えてくれた湯」が温泉名の由来になっているようで、鹿風にデザインされたものがありました。